「原因・動機などを考えずに、物事の結果だけをみて行う議論。」のことらしい。
山遊びに即して言うと、遭難したり、逆に遭難しなかったりした場合にも、結果論となってしまうことが多いと感じてる。
結果論は、他人も含めて後々の行動に反映されないことが多いから不毛や。
結果が発生する前に、その人が得られていた情報は何か?自然・その他が発する何らかのサインを見落としていたのか、それとも、どうあっても気づけないものだったのか。気づく可能性があったのに気づかなかったとしたら、それは どうゆうことに注意を払えば気づくことが出来たのか。何らかの準備をしていれば避けることが出来たのか、また、そうだとしても、その準備をする妥当性、準備が必要だと認識するための情報はあったのか無かったのか…。
結果から得られる情報が 結果が発生する前の情報と比べ、余りにも大きく、分かりやすいために、人は結果に左右されて、その結果発生前の行動を評価してしまいがち。
結果論に陥ると、何か失敗した時に必要以上にヘコんだり、何か成功した時に おごりたかぶることになったりすることもある。
話は少しズレるが、自分が起こそうとしている行動に対し、心配してくれた人や 意見を表明してくれたり アドバイスしてくれたりした人に対し、結果論で その人を批判するようなことだけは避けたい。
振り返れば、自分も 雪山仲間に「○○すべりにいこー」と言って、「いやー、それは無理やろ。」とか「ありえへんやろ。」等のレスポンスが返ってきて ちょっとムッとしてしまうことがあった。が、それは間違いやし、我がにとって損やと考えるようになった。その人は意見を表明してくれとるんや。どうでもエエ相手に対しては 反対したりするようなことを敢えて言うことはないやろ。その人が得られた情報、もしくは得てきた情報をもとに意見を表明してくれてる。自分と違い意見に対しては「なんでそない思うん?」と聞いてみりゃええんや。もちろん、無視するという選択肢もある。が、結果として無視するのと同じになるのはエエとしても 相手を尊重した対応をしたい。自分と違う意見を聞く機会は貴重や。「ほらーいけとったやーーん」「ほらー、あかなんだやーーん」、基本的に結果論や。結果が決まってしまう前にオマエは何しとったんや、ベストを尽くしとったんかゆー話もある。
思えば、俺は今まで 何度 結果論で話をしてきたやろか。結果論だらけやのぉ。
結果が全て…っちゅうこともあるけど…。
結局のところ、自分ひとりヘコむ月曜の朝となった。
あ、そうそう、「非難」の全てが結果論ではない…、と俺は思とるけどね。次元が ちゃう話やから一緒くたにせんほうがええんちゃうけ。まぁでも、結果論の非難は多いんかもしれまへんな。おこちゃまのワテには よー分かりまへんけど、人生の酸いも甘いも噛み分けた お方には悟るところがあるんかもしれまへんなぁ。
あと、コメント読んで思いだしたのは、ジョハリの窓。"他人から見た自分"と"自分が見た自分"は違うということ。
わては「差を縮める」よりは「違いがあることを認識しておく」ほうが大切かな と思とりま。ある意味、「無知の知」と似てるかな。
ワテは自分も他人も何にも分かりまへーん、わ。